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福岡地方裁判所 平成2年(ワ)2045号 判決

原告

宗教法人オウム真理教

右代表者代表役員

松本智津夫

右訴訟代理人弁護士

青山吉伸

被告

株式会社西日本新聞社

右代表者代表取締役

青木秀

被告ら訴訟代理人弁護士

太田晃

主文

一  被告らは原告に対して、各自、金七〇万〇〇〇円及びこれに対する平成二年一〇月一八日から支払済まで、年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

事実及び理由

第一請求

一被告らは原告に対して、各自金一〇〇万円及びこれに対する平成二年一〇月一八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二被告株式会社西日本新聞社(以下「被告新聞社」という。)は原告に対して、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞及び西日本新聞の各紙に、別紙(一)記載のとおりの謝罪広告を、別紙(二)のとおりの方法で、各一回掲載せよ。

三仮執行の宣言

第二事案の概要

本件は、被告新聞社が発行する日刊新聞紙上に掲載した新聞記事(以下「本件記事」という。)によって、原告の名誉が毀損されたとして、被告新聞社に対して名誉回復のための処置として前記各紙に謝罪広告の掲載と、同被告(民法七一五条による。)及びその被告編集局長(同七〇九、七一〇条による。)に対して各自一〇〇万円の慰謝料の支払を求めた事案である。

一当事者間に争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人岡田雄希)上明白な事実

1  被告新聞社は、日刊「西日本新聞」(以下「被告紙」という。)を中心として、新聞の発行等を事業目的とする株式会社であり、西日本地方では最大の発行部数を誇る権威ある新聞報道機関である。被告稲積は、被告新聞社の編集局長として、同紙の執筆、編集業務に従事しているものである。

2  岡田記者は、当時、被告新聞社の熊本県阿蘇支局に勤務していたが、平成二年八月末ころ原告の信者永尾好一が阿蘇郡波野村にある原告道場から離脱して警察に保護された旨の情報を得て、同県警一の宮署の警察官から永尾の警察における事情聴取の内容を取材し、更に数日後、永尾の自宅に電話して直接取材したうえ本件記事を執筆し、これを被告稲積編集局長が編集のうえ、同年九月一五日付けの被告紙に、別紙(三)のとおりの本件記事を掲載・頒布した。

二争点

1  本件記事による原告の名誉毀損の成否

2  被告らの行為の違法性

(一) 本件記事の公共性及び公益目的の有無

(二) 本件記事の真実性

3  本件記事の内容を真実と信じるについての相当な理由の存否

4  慰謝料相当額及び謝罪広告の当否

第三争点に対する判断

一争点1(名誉毀損の成否)について

1  被告新聞社は、前記のとおり、西日本地方では権威のある新聞報道機関であり、その新聞記事の社会に与える影響の大きさに鑑みて、記事によっていたずらに個人や法人の名誉、社会的信用を毀損・低下させることないよう注意すべき義務があることは原告の主張するとおりである。

2  本件記事が掲載された当時は、原告が波野村道場を開設して多数の信者をここに移住させたことにより、同村々民や周辺住民に不安・動揺が起り、村役場とも住民票登録や道場建設をめぐって対立し、時には集団での衝突を引き起こすなどの緊張関係にあって、原告教団が社会の耳目を最も集めた時期であった(〈書証番号略〉)。

このような状況のもとで、本件記事(〈書証番号略〉)は、社会面に七段抜き・B5判程度の大きさで、「乳児を含む三〇〇人暮らす」「教祖には絶対服従」「村民と対立に動揺、脱出」との見出しで、「原告の男性信者の一人が…このほど、西日本新聞社との電話インタビューに応じて、ベールに包まれた(波野村)道場の内情を初めて明らかにした。…超能力を身につけたくて入信したが、村民との衝突や仲間の逮捕などに不安を抱き脱会を決心、逃走の機会をうかがっていたことなどを赤裸々に語った。」との書き出し(コメント)を付け、岡田記者の質問とこれに対する永尾の回答という問答形式で記事とされたものである。

3  その記事の本文は、道場の建設状況、信者の日課や生活振り、信者数などのほか、本件で名誉毀損ないし信用低下として問題とされる記事として、

(一) 入信の動機につき「相手の心を読んで、相手を意のままに動かす超能力を身につけたかった。」

(二) 道場での日課、暮らしにつき「午前六時に起きて、午後九時まで建設作業などして働く、午前零時から修業をした後、就寝する。」

(三) 教祖に関し「麻原教祖はブッダ(釈迦)の生まれ変わりで、絶対服従。警察官に対しても幹部には『応じないでよい』と指示していた。」

(四) 警備等につき「警備班の信者は外部からの侵入と同時に、信者の脱走にも目を光らせている。私は数回失敗して、やっと脱出できた。」

(五) 脱出の動機、理由につき「村民との衝突などで不安になり、脱出を決心した。阿蘇郡久木野村の温泉で入浴した際、すきを見て脱走した。」

などの内容のものがあった。

4  ところで、新聞記事が法人等の名誉を毀損し或は社会的信用を低下させるものか否かを判断するに当たっては、本文記事の内容はもとより、その見出し、コメント部分、記事の大きさなどを総合して、その新聞の普通の読者が一般的読み方をして通常受けるであろう印象によって判断すべきものと解するのが相当である。

このような読み方、理解の仕方を基準とする限り、右記事の見出し、コメント、本文の各部分、記事の大きさ、ことに右の列記した記事部分(本件記事の主要部分と認められる。)等を総合考慮すると、本件記事は、被告紙の読者に、原告教団が人を意のままに動かす超能力を身に付けるという邪な動機で入信した信者集団であり、そのことで、対立する波野村々民等を一層不安に駆り立てて村の平穏や風俗を壊しかねない、或は社会的秩序を無視する集団であるかのような印象を与え(特に、前記2の対立状況、3の(一)、(二)の記事)、教祖に対する絶対服従を規律として、信者達が厳重な監視のもとに厳しい修行や労働を強いられているかのような印象を与え(特に、見出し及び3の(二)ないし(五)の記事)、村民等との対立などで原告信者間に動揺があり、脱出を望む信者も多くいて、同道場が修行するのに不適切な環境であるかのような印象を与え(見出し、コメント及び3の(四)、(五))、特に、原告が監禁動揺の行為(警備班による監視体制)をも行い、社会的に認容できない閉鎖的で教祖独裁の宗教団体であるかのような印象を、波野村々民を含めた一般の読者に与えるものであることが窺われる。しかも、岡田記者の永尾に対する取材においては、話し合いで道場を出て行く人もいることなど、右記事の内容と異なる原告道場内部の運営(「話し合いで道場を出ていく人もいる。」など)や、教祖に対する敬意の念(「瞑想については第一人者である。」など)等記事内容と趣旨を異に話もされているのに(〈書証番号略〉)、本件記事では全く触れられていない。

以上によれば、原告教団が社会的に最も耳目を集めていた時期に、右のような内容の本件記事(右記事部分はその主要部分に該当する。)が、被告紙に掲載・頒布されたことによって、原告の宗教法人としての社会的信用が著しく低下され、その名誉が毀損される結果をもたらしたことが明らかである。

二争点2の(一)(本件記事の公共性、公益目的)について

1  被告らは、信者の一人が、一時的にしろ警察に保護を求めるという犯罪の存在を疑わせるような事情にあったことに鑑みれば、本件記事が公共性及び公益目的を具備していたことは明白である旨主張し、原告は、本件記事は単なる誹謗・中傷に止まると主張する。

2  本件当時、原告は、社会的耳目を集め、急成長していた新興の宗教団体であり、多数の信者を擁し、その存在、活動内容が社会に及ぼす影響も大きいこと(弁論の全趣旨)、波野村々民等との前記対立状況などに照らすと、その活動状況は公共の利害に関するものと解することができる。

3  また、前記認定の事実や証拠(〈書証番号略〉、証人岡田)によれば、原告の活動状況は、以前からしばしば報道され、特に、当時波野村に短期間のうちに多数の信者が移住したことによって、同村民や周辺住民を不安に陥れ、村役場との間にも紛争が発生するなど社会問題化した状況にあって、本件記事は、真相不明で問題視されていた原告の道場での修行状況や道場内部の実態を明らかにして、原告の活動状況の一端を一般読者に報道する目的で掲載されたことが認められ、右事実によれば、本件記事は、もっぱら公益を測る意図から掲載されたものと理解するのが相当である。

三争点2(二)(本件記事の真実性)

1  被告らは、「本件記事は、岡田記者が一の宮署担当警察官から、永尾の警察官に対する任意の供述を記載した資料を示されて説明を受けたうえ、右資料を正確に書き写した取材メモ(〈書証番号略〉、正確には〈書証番号略〉に清書する以前のメモ、以下「警察取材メモ」という。)と、その裏付けのために永尾に電話で直接取材した際にメモした資料(〈書証番号略〉、以下「永尾取材メモ」という。)に基づき作成したものである。その両資料の間にはほとんど相異なるところがなく、本件記事の主要部分は、すべて永尾本人が任意に右警察官に話した事実を基礎に、これを正確に記事にしたもので、これに誇張や歪曲など存在しない。」と主張する。

他方、原告は、本件記事の各箇所毎に、後記のとおりその反真実性を主張するほか、「警察は以前から原告に対して悪意と偏見を持っていたから、警察取材メモが永尾の供述を虚心に客観的にメモしたものとは考えられず、警察官による付け加えや曲解の可能性もあるし、供述者永尾の署名・押印のあるメモでもなく信用性に乏しい。また、岡田記者がそれを正確にメモしたかについても疑問がある。」、「永尾に対する電話取材メモも正確にされたとする裏付けがない。」など主張する。

2  本件記事の本文は、問答(インタビュー)形式の記事であるから、その真実性に関しては、第一に、永尾がその記事のとおり答えたのかどうかの問題、即ち、供述の存在に関する真実性が問題となる。

したがって、この点を検討するには、永尾が岡田記者に何を語ったかが問題とされているのであるから、その両者間の会話自体を対象として、その真実性を判断すべきものである。それ故に、その取材結果を記した永尾取材メモを直接的証拠として評価すべきで、警察取材メモはあくまでもその裏付け補充的な証拠機能・価値しかないものと理解される。尤も、同メモの元になったとされる文書の作成者が明らかにされず、また、これが警察官の公式文書として作成されたものでもなく(証人岡田)、更に、右文書を岡田記者が書き写したというものが同メモであり(証人岡田)、これに後記四、5に記載の事情をも併せ考えると、同メモが真実性に関してさして証拠価値の高いものとは解し難い。

第二に、記事は問答形式で書かれているとはいえ、一般読者の通常の読み方・理解を前提とする限り、その語られた内容自体もまた真実であるかのような印象を読者に与える結果となるから、本件記事の真実性については、語られた内容の真実性も問題となり、真実性立証の対象となるものと理解される。本件争点はかかる観点からも検討を要する。

3 そこで、以下に本件で名誉毀損として問題とされる前記記事部分(前記第三、一、3の(一)ないし(五))を中心として、それらの真実性を個別に検討する。なお付陳するに、真実性の証明責任が被告らにあることを当然の前提として以下に説示するものである。

(一) 入信動機、超能力に関する記事部分(前記第三、一、3の(一))について

(1) 右の記事は、「相手の心を読んで、相手を意のままに動かす超能力を身につけたかった。」というもので、原告は、特に、「相手を意のままに動かす」という表現は、波野村々民の村を乗っ取られるとの妄想的不安感を一層煽り立てるものとして問題視し、永尾は「人の心が分かりたい。」という趣旨のことは言ったが、記事のようなことは一切話してないと主張し、永尾もこれに沿う供述をする。

(2) ところで、永尾が岡田記者に超能力に関して語り、それを身につけたいとの趣旨の話をしたことは明らかである(〈書証番号略〉、証人岡田)。加えて、証人岡田は「永尾は取材に対して『相手を意のままに動かす』という言葉を確かに口にした。」と証言する。しかし、永尾取材メモ(〈書証番号略〉)には、入信の動機に対する答として「超能力を身につけたかったからだ。」というメモ記載があるのみで、「相手を意のままに…」という趣旨のメモは見当たらない。

(3) ことは宗教の世界の問題であり、修行によって超能力的なものを身に付ける願望や可能性を信じて宗教団体に入信することは巷間によくありうることで、原告の修行目的にも謳われていることであって(永尾本人)、特に異とするに足りないと思われる。

しかし、超能力を身に付けて「相手を意のままに動かす」ことは、他にその影響が波及する事柄で、殊に、村民と対立する状況下で、決して軽視しうる発言とは考えられない。しかるに、永尾取材メモに右発言を窺うに足りるメモがないことは不自然というほかはない。右発言が確かにあったとする岡田証言でも、その確たる合理的な根拠は全く述べられていない。却って、そのことは警察官から聞いた趣旨の同証人の証言部分や、警察取材メモに「オーム教の修行をすれば人を意のままに動かすことができる。」とのメモがあること(〈書証番号略〉)からすると、本件記事部分は永尾取材メモに右警察取材メモを付加・合成して、本件記事部分としたものと推測される。

(4) 右によれば、本件記事部分のうち、少なくとも「相手を意のままに動かす。」との部分(これが決して軽視しえない部分であることは、右に説示したとおりである。)については、永尾が岡田記者に語った事実に含まれたとする証明はなく(前記真実性の第一の点)、また、内容の真実性(前記真実性の第二の点)についても、前記のとおりこの部分の証言につき信用性に乏しい岡田証言や警察取材メモ(〈書証番号略〉)以外に証拠はなく、これら証拠のみによって、右の真実性を肯認することは到底できないものと判断せざるを得ない。

(二) 道場での修行、日課等に関する記事部分(前記第三、一、3の(二))について

(1) 右に関する記事は、前記のとおり「午前六時に起きて、午後九時まで建設作業などをして働く。午前零時から修行をした後、就寝する。」というものである。

(2) しかし、証拠(〈書証番号略〉、永尾本人)によれば、波野村道場内で出家修行をする信者の実際の状況は、道場での仕事を建設、作業、生活、交通整理及び医療の各班に分け、各信者が分担とされた班の作業に従事していたもので、永尾は食事の準備等を行う生活班に属していて、建設班などの班員として、建設・土木等の作業に従事していたものではないこと、その日課は、午前六時起床、直ちに分担された作業や食事(一日二回)をし、午後九時に作業終了、午前〇時までの自由時間経過後、午前一時まで修行、就寝というものであり、永尾は自由時間を殆ど就寝に使って必要な睡眠はとっていたことが認められる。この点については、永尾取材メモでさえ「(日課は)午前六時起床、作業は夜の九時まで。それから深夜まで何もなくて午前零時から瞑想の修行。修行は瞑想ばかりだった。」とメモされているに止まる(〈書証番号略〉)。

(3) 右認定事実や永尾取材メモの記載に対比すると、本件記事部分の各文言自体を個々的に抽出してみるときは、決して真実に反する記述とはいえないものの(但し、永尾が「建設作業など」という言葉を話したかは、同人の属した作業班に照らし、疑わしい。)、実態の一部を省略した記事としてまとめられていることによって、その信者の日課などに関する全体像が実態と異なったニューアンスとなり、後記の(四)の記事と相まって、読者には、信者達が原告の厳重な監視のもとに厳しい労働や修行を強いられているかのような印象を与える内容に変えられていることが明らかである。

(4) このように、例え個々的な文言・文節自体は真実を記述したものであっても、その全体から読み取れる内容が、全体として真実と異なる意味合いを持つに至るような表現・文章構成がとられている場合には、真実性の証明があったものということはできないと解する。

(三) 教祖の絶対性に関する記事部分(前記第三、一、3の(三))について

(1) 本件記事部分は、「麻原教祖はブッダ(釈迦)の生まれ変わりで、絶対服従。」というものである。

問題は「絶対服従」という記述であるが(その余の部分は永尾本人も岡田記者にその趣旨を話したことを認める供述をしている。)、永尾取材メモにその点の記載はなく、ただ、これに関連するものとして「(内部規律として)幹部の言うことは必ず聞くことになっている。」という記載があるのみである(〈書証番号略〉)。そして、永尾は、「絶対服従などとは言っていない。麻原教祖がどんな人かと問われ、宗教的意味合いとして絶対だと言ったまでである。」趣旨の供述をする。

(2) これに対し、岡田記者は、「非常に高い修行をした人間で絶対的な存在であるとの話も聞いたが、麻原教祖をはじめ教団幹部に対しては『絶対服従』であるとの話も聞いた。」と証言する。また、警察取材メモには、「麻原の権限は、絶対のものであり彼のいうことに対してはすべての者が従わなければならない。」とのメモがある(〈書証番号略〉)。

(3) しかし、右のとおり、同発言の存否については、岡田証言と永尾供述とが全く相反し、かつ、いずれにもこれを信用し、裏付けるに足りる証拠はなく、殊に、右のとおり永尾取材メモにも記載されていない事実に照らせば、いわば水かけ論の領域にとどまるに等しい。結局、右記事の「絶対服従」の記載部分は、警察取材メモに記載されていた前記内容と、永尾取材メモに記載され前記内容とを合わせて一つの文章にした疑いが強く、永尾の岡田記者に対する発言内容と認めるに十分な証明はないと解さざるを得ない。

(4) また、確かに、原告は宗教教団であるから、教祖が絶対的存在で、その教義、規律等に従うことが一般的であることとは想像に難くないが、原告の教団に、独裁・専横的な意味合いを有する「絶対服従」という言語に相応するような実態が存在したことを証するに足りる証拠はなく、却って、教団内部の自由で家庭的な実情であることを伝える証拠(〈書証番号略〉)もあり、本件記事の右記載部分の内容自体の真実性においても、その証明があったものとすることはできない。

(四) 警察との対応に関する記事部分(前記第三、一、3の(三))について

(1) 本件記事部分は、「警察官に対しても幹部には『応じないでもよい』と指示していた。」というものである。その指示者(主語)は、前後の脈絡から麻原教祖と理解され、同教祖が幹部に対して、警察官に対しては応じなくてもよいと指示した趣旨の文章と解される。

(2) この点に関して、永尾取材メモには、教団内部の規律に関する質問の答として「幹部の言うことは必ずきくことになっている。その他も規則はいろいろあった。警察官の言うことも聞かないよう指示されていた。」との記載がある(〈書証番号略〉)。しかし、右文章からは、幹部が永尾らに対して指示したとする趣旨とは理解できても、本件記事部分のように教祖が幹部に対して指示したと読み取ることはできない。

(3) 岡田証言ではこの点について一切言及されていないし、警察取材メモでも、これに関連したものとして、職務質問に対する指導として「職務質問を受けた場合は、一切これに応じる事はなくその場から離れること。」とのメモ記載があるのみである。

他方、永尾は、「(右の点に関して)岡田記者に説明はしていないと思う。」、「警察では、仏教的な戒律から、職務質問でも無駄口を言わない。職務質問に応じなくてもよいとの指示は受けてはいない。」趣旨の供述をしている。

(4) 右によれば、永尾が岡田記者に本件記事部分どおりの話をしたことを認めるに足りない。また、少なくとも幹部が永尾に「警察官に対しては応じなくてよい。」趣旨の指示をしたであろうことは、前記永尾取材メモから窺えなくもないが、教祖が幹部に対してかかる指示をした事実、即ち記事内容の真実たることを認めるに足りる証拠はなく、この点に関する立証が十分尽くされたとはいえない。

(五) 警備状況等に関する記事部分(前記第三、一、3の(四))について

(1) 本件記事部分は、「警備班の信者は外部から侵入と同時に、信者の脱走にも目を光らせている。私は数回失敗して、やっと脱出できた。」というものである。

右記事部分に関して、永尾取材メモには「何度もにげようとして、信者を見張る警備班に見つかって失敗した。話し合いで道場を出てゆく人もいたが、わたしはだめだった。」とのメモ記載があり(〈書証番号略〉)、警察取材メモには「敷地から数回脱走を試みたが…山あり林ありで難しく、また敷地付近には警備班がいるためすぐ連れ戻された。」との記載がされている。更に、岡田証人は「(永尾は)波野村のキャンプ地は警備が非常に厳しい。要所要所にパトロールの要員がいて、何回も脱走を試みたが必ず連れ戻されたと話した。」旨証言する。

右各証拠内容を併せ検討すると、永尾が岡田記者に話した内容は、右記事のうち「信者の脱走に目を光らせている。」との部分(その表現・意訳において誇張され、歪曲された感を拭えない。後記(四)参照)を除き、大筋において本件記事部分とほぼ同趣旨であったであろうと推測される。

(2) そこで、次に、その記事内容自体の真実性を問題とすべきことになる。

ところで、波野村道場内に警備班が置かれていることは、前記認定のとおりであり、問題はその警備班の活動目的である。永尾は、「波野村々民や右翼が違法に道場敷地内に侵入するのを防ぐ目的での警備であって、信者の逃走を監視するためのものではないし、その逃走に目を光らせていた事実はない。」旨供述している。

(3) 当時、村民との対立・衝突があり、右翼やマスコミ関係者も押しかけてくるという状況下で、原告としては外部に対する警戒・警備が必要不可欠であったことは容易に推測される。したがって、右警備が外部からの侵入防止を主たる目的としていたことは想像に難くないから、「外部からの侵入に…目を光らせている。」点は、外部からの侵入を警戒していた趣旨では真実であったと認められる。

(4) しかし、「信者の脱走にも目を光らせている。」という表現が真実を記述したものであるかは疑問がある。何故なら、

① かかる趣旨の証拠としては、「信者を見張る警備班…」とメモされた前記永尾取材メモのみである。

② 本来、宗教団体の修行において、これら修行者を監視・警備するために警備班を置いて警戒に当たらせるというのは極めて不自然であり、原告の本件警備班は、右(3)のとおり村民との対立・衝突等で必要であったから、これら外部に対する警戒を目的として設立・存在するものと理解するのが自然である(この点に関する右(2)の永尾の供述も信用できる。)。

③ 同メモには、引き続いて「話し合いで道場を出てゆく人もいたが、わたしはだめだった。(何故だめだったか)分からない。」とあり(この事実は、原告教団内部の実態が決して監禁的状況や絶対服従の関係にはなく、話し合いで運営されている状況を示す事実と理解されるが、敢えて本件記事から落とされていることは前記のとおりである。)、修業中道場から転出したいときには一応の手続・方法もあったこと(永尾本人)からして、逃走に目を光らせるなどとあたかも信者を監視するような状態で警備する必要性があったか疑わしい。

④ 原告の信者多数が人里離れた山間の地に集団生活をしている以上、内部規律は遵守されねばならず、原告も一定の責任を有しているはずであるから、その道場から勝手に離脱しようとする信者に対しては、離脱後山間に迷うなどの本人の危険を考慮して、場合によっては捜索あるいは説得を試みることは当然の責務と思われる。

⑤ 永尾は、修業に挫折し、里心がついたことやその気恥ずかしさから、話し合いによって道場を出ることをせず、勝手に道場から離脱した者であり(永尾本人、前記③のメモ、後記(六)参照)、そのようにして離脱するにつき、あたかも警備班から見張られているような心理状態になっていた可能性も窺われる。

⑥ かかる心理状態の反映として、その離脱後間もない時点での事情聴取やインタビューに際し、その後ろめたさも加わって、前記の「信者を見張る警備班…」との表現で岡田記者に話したとも推測される。

などの事情が存在するからである。

以上からすれば、本件警備班は、対外的な警備をその職責とするもので、その業務遂行の過程で信者等内部からの道場離脱などに右④記載の範囲・程度で関与したものと理解するのが相当と思われる。

したがって、本件記事部分のうち「信者の脱走にも目を光らせている。」との部分(監禁等を問題として作成された本件記事において、右部分が主要な部分として記載されたのもであるとはいうまでもない。)は、その意味合いにおいて真実に反する記述と言うほかはなく、他に、右を真実と認めうる証拠もない。

(六) 脱出、その動機に関する記事部分(前記第三、一、3の(四)、(五))について

(1) 右に関する本件記事部分は、「村民との衝突などで不安になり、脱出を決心した。阿蘇郡久木野村の温泉で入浴した際、すきを見て脱走した。」、「私は数回失敗して、やっと脱出できた。」というものである。

(2) 右のうち脱出の動機・理由に関しては、確かに、永尾取材メモには、「もう少し話し合いをしても良かったのではないか。多少の反対があるとは聞いていた。実際は(村民が)押し寄せるのだった。恐怖も感じて、衝突は話し合いで避けられたと思った。」趣旨の記載があり(〈書証番号略〉)、また、警察取材メモには、脱会の理由として「(1)幹部との考えの相違(村民との対立が宗教に反する)。(2)厳しい就労に疲れたため。(3)警察に逮捕されることが怖いため(すでに逮捕者が出ているため。)。」とメモされていること、前認定のとおり、当時、原告道場と波野村々民とが対立した状況にあったことなどに照らせば、永尾が道場を離脱した動機の一端に村民との衝突などによる不安が介在したことは否定し難い。

しかし、永尾取材メモの右の記載部分は、その記載場所、順序に照らすと、直接には離脱動機に関するメモ部分とはいえず、むしろ原告の幹部らの道場運営方針に対する批判についてのメモ部分であり(〈書証番号略〉)、右動機に関するものとしては、「修行に耐えられず内心帰りたかった。」とのメモ記載があるのみであること(〈書証番号略〉)、また、右のとおり警察取材メモにも、その動機として「厳しい就労に疲れたため。」との記載があること、更に、永尾は「道場での出家修行が精神的にも体力的にも厳しく、また丁度里心もついたから、勝手に帰った。本件記事部分のような離脱理由を岡田記者に話したことはない。」趣旨の供述をしており、その後の同人の行動(原告を脱会することなく、在家修行者としてその後も修行を続けていること―永尾本人)に照らせば、右供述も不自然とは思えないこと(原告も離脱理由として修行の挫折と里心を主張する。)、同人の飽き易く持続性のない性格(永尾本人)などを併せ考慮すると、永尾の道場離脱の主たる動機・理由は、道場での修行に飽き、挫折し、耐えられなくなったことにあったものと認めることができる。

そうして、岡田記者も「多数の信者の脱走が相次いだなかで、永尾をその脱走者の典型として取材対象とした。」と証言するのであるから、永尾の取材において、「脱走」の動機について、当時の村民との対立関係も念頭において、詳細に永尾に取材したと推測される。にもかかわらず、右取材において永尾から村民との衝突が動機であるとする直接的な答を得たわけではなく、同記者は、離脱の主たる動機が他にあったことを認識したはずである。

しかるに、「村民との衝突などで不安になり、」とのみ記載された本件記事部分では、その動機の一端が記事とされたに過ぎず、しかも原告を非難するような一方の視点から取捨選択して記事としたものではとの疑いが生じ、ひいては、その取材によって得た情報の全体を真実に沿って正しく記事化したのかとの疑いを生じる余地も十分あると思われる。

そうすると、右の記事のうち、永尾の離脱動機・理由に相当する部分は、いずれの意味においても、その真実を記載したものとする証明があったものとは判断できない。

(3) また、永尾が度々脱出を試みて失敗したことについては、両メモのいずれにも記載されていること(〈書証番号略〉)や証人岡田の証言により肯認でき、いずれの意味においてもそれが真実であったものと推測でき、これを否定する永尾供述は信用しない。

(4) 尤も、前項で認定の事実に照らすと、永尾が道場から抜け出した事実は、無断で道場を離脱したというのが実態で、これを「脱出」ないし「逃走」という言葉を用いるのは、これらが監視・監禁状況からの離脱という言語の本来的意味合いからすれば、右の実態を表現するに必ずしも適切とは言えず、真実にそぐわない用法ということができよう。

4  以上のとおりであり、本件記事の右各主要部分は、その一部に真実と認めうる部分があるものの、その大半において真実性の証明が尽くされていないことに帰するから、本件記事による名誉毀損の違法性を否定することはできない。

四争点3(本件記事の内容を真実と信じるにつき相当な理由の存否)について

1  新聞報道者は、名誉・人権等に関する記事を新聞に掲載するに当たっては、それが公共の利害に関わりかつ専ら公益を図る目的で行う場合であっても、その影響する結果の甚大さに鑑みて、一層慎重な取材をして報道の正確性を確保すべきであり、そのために事実の裏付けとなる十分な取材・調査を行い、これらから入手した情報を客観的な視点から分析して、記事化する事実との対比・検討を行い、もってその正確を期すなど、その裏付け調査を十分に行う義務があるものと解され、この義務が尽くされていなければ、その記事の担当記者や編集者に本件記事を真実と信じたことについて相当の理由があったものということはできないこととなる(最判昭和四七年一一月一六日第一小法廷・民集二六巻九号一六三三頁参照)。

2  ところで、本件記事についての岡田記者の取材及び各メモの作成経緯については、次の事実が認められる(〈書証番号略〉、証人岡田、永尾本人)。

(一) 岡田記者は、かねてから原告の波野村道場からの脱出者を取材したいと思って関係機関に当たっていたところ、平成二年八月末、熊本県一の宮署で、道場を出て保護を求めてきた永尾から警察が事情聴取したとの情報を得たので、直ちに同署所属の警察官から取材を行った。同記者は、同警察官の地位・正確な担当部署、氏名等については明らかにせず、「幹部捜査員」ないし「担当捜査官」とのみ証言している。

(二) 同記者は、同警察官からメモ様の資料を見せられながら口頭で、概略、「永尾が他の信者五名と道場を出て隣村の温泉で入浴後、飲食店に逃げ込んで助けを求め、そこからの通報で同署に隣接する高森警察署で保護され、同署で事情聴取を受けた。」との説明を受けた。右メモ様の資料は、文字どおりメモであって正式の公文書ではなく、永尾の署名・押印がされていたわけでもないし、公表されたものでもない。

(三) 同記者は、「右説明を受けた際、同警察官が示した右資料を書き写させて貰ったのが警察取材メモ(正確には、〈書証番号略〉に清書する前のもの)であり、そのメモの内容は右資料の記載内容とほゞ同一である。」旨証言している。

(四) 同記者は、警察からの右取材の裏付けを直接本人から取るために、同年九月三日に、右メモに記載されていた永尾の帰省先住居に電話を入れ、永尾に対し、右メモ内容の取材源が警察であることを否定したうえ、右メモの内容を逐一追う形で約二時間にわたり質問をし、その答をメモとして記載した(永尾取材メモ、〈書証番号略〉)。

3  ところで、被告らは、「警察取材メモは右のとおり永尾の任意の供述に基づいて警察官が作成した資料を正確に書き写したもので、その内容は、詳細・具体的で生々しく、本人でなければ知りえない事実もあり信用性が充分あった。しかも、同記者は、記事化の直前、右メモの裏付けを取り警察情報の正確性を担保すべく、永尾本人に直接電話をし、右メモの内容の真偽を逐一確かめるという方法で取材をしたところ、永尾も二時間半にもわたって詳細かつ協力的に答え、その内容も同メモと殆ど符合し相矛盾するところはなかった。したがって、同記者及び被告編集局長には、本件記事が真実であると信じるについて相当な理由がある。」旨主張する。

4  しかし、本件争点においては、前にも説示のとおり、本件記事は永尾との問答形式をその内容とするものであるから、岡田記者が、まず永尾から何を取材し何を聴き取ったか、そして、その取材した事実を真実と誤信するに相当の理由があったかが問題とされるはずである。即ち、記事とされた事実が永尾からの電話取材で聴き取りした事実に含まれていたことが、まずもって本件争点を判断する当然の前提であり、右取材した事実以外のことを警察で取材していたからといって、これをあたかも永尾取材時の同人との直接の会話であるかのように記事としても、その部分は裏付けが取られてない記事内容として論外というほかはない。

そこで、本件争点では、岡田記者が永尾から電話で取材し、記事とした事実について裏付け義務が尽くされているか否かを検討すべきことになる。

5 なるほど、前記認定のとおり、岡田記者が、警察での取材の後、その裏付けを取るため、その数日後、事情聴取された当の本人である永尾に直接電話を入れ、時間を掛けて警察から取材した事実の真偽を確認をしたことについては、一応慎重な取材処理であったということができる。

しかしながら、右の各取材は、永尾がそのような事実を岡田記者や警察に語ったか否かという観点からは、相互に裏付け調査を尽くしたものと評価できるものの、他方、その取材のいずれもが永尾を情報源とするいわば一面的・一方的な情報であることを考慮すると、取材の内容の真実性という視点からは、右各取材をもって裏付け調査義務を尽くしているといえるかは疑問のあるところである。即ち、

(一)  警察での取材においては、岡田記者は、前記のとおり、その地位や正確な担当部署の不明な警察官(岡田証言はその氏名も明らかにしない。)から、非公式にメモ様の書面を見せられながら説明を受けたというものである。しかも、道場を離脱して、その直後に警察に保護を求めてきた永尾の立場や心理状態(前記三、3、(五)、(四)の⑤、⑥参照)からすれば、永尾が自己を正当化し、事実を誇張し、歪曲し、或は迎合的態度で、警察官に供述した可能性も容易に推測できる。更に、原告と波野村々民との間に対立状況があり、熊本県警も原告道場の問題に関しては同村役場と協力関係にあったこと(〈書証番号略〉)などをも考慮するとき、警察取材メモは、その内容自体の真実性についてさほどの信用性があったものとは評価できない。

(二)  また、本来、永尾自身、原告の単なる一信者に過ぎず、原告の道場全体の事情を十分把握できる立場にはなかった(永尾本人)し、岡田記者も、このことは容易に認識し得たはずであったから、永尾の発言の真偽、正確性に一応疑いを持ち、その裏付けを取るべきであった。

(三)  更に、本件記事の性質上、それが記事化にされるについてさほどの緊急性・急迫性があったわけでもなかったから、裏付け調査を丹念にする充分な時間的余裕があったはずである。したがって、ことが原告の名誉毀損、信用にかかることであるから、時間を充分に掛け、他面からの裏付け調査を行うなどして、なお一層慎重に調査を尽くすべきであり、かつ、それが可能であったと思われる

即ち、原告には「外報部」と称する対外的な広報活動担当部署が設けられており、そこで報道陣等外部からの問い合わせにも対応していたし、また、本件記事が原告道場の内部の状況に関するものであったから、幹部でもない一信者の永尾からの事情のみでよしとせず、原告教団や波野村道場の幹部に直接照会して、その事実を確かめることができた。また、当時、原告発行のパンフレットや原告を扱った一般の新聞雑誌等出版されていたし、原告は、本件記事掲載前に二度にわたり、報道関係者や村役場の職員に対して、波野村道場の一部を公開し、その結果、道場内部の生活状況等に関する取材記事が各新聞に報道されていた。それ故、岡田記者は、右のように可能であった各情報源をも取材して、これらと本件記事とを対比・検討することが可能であった(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。

(四)  したがって、岡田記者としては、本件記事を記載する前に、右のとおり可能であったと推測される各取材をし、或は右資料を調査・入手・検討し、或はその際取材した関係者や右公開に参加した関係者に事実を確認したりすることによって、永尾からの取材の真偽を調査・再検討し、真実で確実な報道を期することが可能でったと解される。

6 以上のとおりであるから、岡田記者が、本件記事のための裏付け調査を充分に尽くしたものとは評価できず、また、他に客観的な裏付けもないまま本件記事を作成・送稿した点において、同記者は、本件記事の内容を真実と信じるに相当の理由があったものとは理解されない。また、被告稲積編集局長も、その迅速性のために時間的余裕がなかったわけでもないのに、本件記事について十分な裏付け調査がされたものであるか否かの確認や再調査の指示を怠ったまま、本件記事を編集・掲載させたものであるから、同被告にも、本件記事の内容を真実と信じるについての相当な理由があるとは言えない。

五争点4(慰謝料額及び謝罪広告)について

前記第三の一でみた本件名誉毀損行為の内容、その違法性の程度、殊に、被告紙が西日本有数の発行部数を有する新聞であり、その記事が社会に与える影響の大きさや、本件記事によって、暫くの間原告の宗教活動にかなりの支障を生じたであろうと推測されることなど考慮すると、原告の受けた名誉や社会的評価の低下は決して軽いものとは考えられない。

しかし、他方、本件記事が掲載されてすでに約三年が経過し、その間、当初盛んに行われていた原告の社会的評価を低下させるような報道はほとんど影を潜め、現在においては、逆に原告を評価する論調の雑誌等も現れ、その地道な宗教活動によって社会的評価もかなり回復されたものとみられること、波野村々民や同役場も落着きを取戻し、対立紛争もやや鎮静化した状況にあること、その他本件に現れた一切の事情を考慮するとき、原告の被った損害に対する慰謝料は、七〇万円をもって相当と認める。

なお、原告は、名誉回復の措置として新聞紙への謝罪広告の掲載をも求めるが、右にみた諸般の事情を考慮するとき、右謝罪広告まで命じる必要はないものと判断する。

(裁判長裁判官川本隆 裁判官永松健幹 裁判官桑原直子)

別紙(一)

謝罪広告

当社が発行した「西日本新聞」平成二年九月一五日付朝刊において、「乳児含む三〇〇人暮らす 教祖には絶対服従 村民との対立に動揺、脱出」と題し、オウム真理教に関する記事を掲載しましたが、オウム真理教に対しては何らの取材もすることなく、また、当社の先入観及び真の宗教に対する無理解に基づき、一信者の発言を捏造、曲解して記事として掲載したものであります。

当社の発表した右記事により、社会に対して、オウム真理教についての誤ったイメージを植え付け、オウム真理教の社会的信用・名誉を著しく傷付けたものであります。

よって、ここに右記事を取り消すとともにオウム真理教に対して深くお詫び申し上げます。

宗教法人オウム真理教代表者麻原彰晃殿

株式会社西日本新聞社

別紙(二)

(謝罪広告掲載方法)

掲載誌紙名

各新聞

掲載紙面・記事の大きさ

朝刊社会面下段広告欄三段抜き

二六行分縦書き

活字

「謝罪広告」とある部分

32Q

ベタ

ゴナE

本文

14Q

ベタ

行送り26H明朝

「宗教法人オウム真理教代表者麻原彰晃殿」とある部分

14Q

ベタ

ゴナB

「株式会社西日本新聞社」とある部分

14Q

ベタ

ゴナB

別紙(三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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